Microsoft インディーゲーム部門担当マット・スミス氏が自身の開発経験を基にインディーゲーム開発を語る[CEDEC2020]

登壇者マット・スミス氏

絶壁に立ったインディーゲームディベロッパーが自身の体験を語る

CEDEC2020にてマイクロソフトのインディーゲーム部門を担当しているマット・スミス氏(以下マット氏)が、自身の経験を語るセッション「Standing on the Precipice: A Veteran Developer’s Experience Going Indie/絶壁に立つ:インディーゲームの開発におけるベテラン開発者の経験」をレポートします。マット氏のインディーゲーム開発はどのように始まり、どのように絶壁に立つに至ったのでしょうか。インディーゲーム開発者の多くが痛感したことのある様々な事例が講演の中で見られました。その内容を早速見てみましょう。

※本記事は、CEDEC運営委員会の「CEDEC取材規定」に従い、メディア事前登録・執筆・公開を行っています。

参照:CEDEC2020本講演URL

https://cedec.cesa.or.jp/2020/session/detail/s5eddb61a667d9


まず、マット氏がリリースしたゲームはどのようなものであったのか、そしてマット氏自身のゲーム業界でのキャリアについて見てみましょう。マット氏が開発した『Vane』は独創性のあるアクションゲームで、講演中にも放送されたトレイラーでは、1分半の中で舞台となる世界を主人公である鳥と子供が自由に駆け巡っており作品への興味を起こさせるものになっています。また、最後に描かれるVaneのロゴも印象に残ります。海外ゲームメディアもその芸術性を高く評価しており、います。本作は、講演にもあるようにソニーの後押しもあり、ソニーの協力を得て店頭にパッケージも並べることもできたとマット氏は当時を振り返っています。

『Vane』PS4サイト&トレイラー

https://www.jp.playstation.com/games/vane-ps4/

トレイラーは再生回数約11万回を記録している。

マット氏は『Vane』を開発するまで18年のキャリアを日米のゲーム業界で過ごし、2014年にEAを退職後に『Vane』を制作するためにFriend&Foe社を設立しています。同社のサイトでは、設立の経緯などが描かれ、『人喰いの大鷲トリコ 』『バトルフィールド3』など数々のAAAを開発したメンバーが参加していることがわかります。


インディーゲーム開発に必要な事

冒頭、マット氏はインディーゲームは特別なものではなく、皆さんもインディーゲームを作ることができる。とインディーゲーム開発の可能性を視聴者に語りかけます。続いて、インディーディベロッパーにとって大切な事として「次のゲームも、その次のゲームも開発できるような環境を整えること」を挙げます。

多くのインディーゲームディベロッパーの痛感するところで、継続して自分が作りたいインディーゲームを作り続けることはたやすいことではありません。マット氏は「自分はゲームを作り続ける環境を構築できなかったが、自分の得た経験を話したい」と述べ、もう一度トライするならこうすると過去を振り返りながら問題点を列挙していきます。

やりたいことが多すぎた。

マット氏は、『Vane』に携わった4年間は通常のゲーム開発と異なることが多くあったと述べ具体的な内容を次のように語っています。

「ゲームを作り続けるには、”スコープ”を理解することだ。インディースタジオの少ない人数や時間の制約の中でゼロからゲームを作り上げていくために、これは必要なことだ。当時は自分たちの会社を立ち上げて、やりたいことがいっぱいあった。それらを『Vane』にすべて入れたかったが、プロトタイプの段階で多くをカットしなくてはならなかった。実際に実現できたのは1/4くらいだ。開発方法もこれまでゲーム会社に勤めていた時には採用しなかった方法でやってしまった。最初にムードやフィーリングを決めてゲームプレイをそのムードに合わせるという方法をとったので開発時間が想像より長くなり、完成度が十分でなくユーザーからもわからない点があると言われてしまった」

スコープ:目標達成までの時間 他メンバーの達成に基づいて計画を進める

「事前に、こういった開発方法を取るとどうなるのか、どれくらいの時間とコストがかかるのかを理解していなかった。4~5人で開発したため、できる”スコープ”も限られていた。ただ、インディーには大企業では通らない企画も通すことができることは素晴らしいことだと今も思っている。しかし、ゲームとしての統一性がなく3つのバラバラなゲームの寄せ集めになってしまったことは反省しなくてはいけない。ムードを優先したのでそれぞれのチームで違う作り方をしてしまったからだ。そして開発時間がかかり、ソニーから得た資金が尽きてしまった」

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HATA

5歳の頃、実家喫茶店のテーブル筐体に触れたのを皮切りにゲームライフが始まる。2000年代に個人でノベルゲーム開発をスタートし、異業種からゲーム業界に。インディーゲーム開発をしながらゲームメディアで記事執筆なども行う。

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