『Olija』ロングインタビュー。ゲーム業界未経験の開発者が、固定給を貰いながらインディーとして2Dドットアクションをリリースし、アワードを獲得した経緯

――お生まれはどちらの国なんですか 

トマさん:フランスです。  

――フランスから日本に来られて、スケルトンクルースタジオさんに入社されたのはどういうきっかけがあったんですか  

 村上さん:トマは奥様と結婚するタイミングで日本に来ました。彼自身は子供の頃からゲームが好きで、日本のコンテンツのことが好きだから日本に来てみたいなというのがあったのだと思います。そして初めて日本に来て、ゲーム会社には属さずアルバイトをしながら個人でゲームを作っていたそうです。  

トマさん:同人ゲームみたいな感じですね。 

――違う仕事をしつつゲーム開発をしながら、道を模索していたのですね。

 村上さん:トマは始め日本語がそんなにしゃべれなかったこともあって、フランス語が通じる領事館のカフェで働きながら、ゲーム会社で働きたいと思いながら個人開発していたそうです。

京都って街のサイズのわりに海外の人が多くて、海外の人が経営してる会社も多いんです。海外の人が集まるコミュニティも沢山あります。たぶんそのコミュニティの中の誰かからスケルトンクルースタジオのことを聞いたんだと思うんですけど…トマは本当に急に会社に来たんですよね(笑)  

――お、おぉ……急にお見えに? 

トマさん:(笑) 

村上さん:面接してみると「自分はゲーム業界で働いたこともないし経験もないけど、ゲームはずっと作ってきていたから、ゲームデザイナー(日本のゲーム業界でいうプランナー的なポジション)で雇ってくれないか」って飛び込んできたんです。当時は会社を立ち上げたばかりで、未経験の人を雇う余裕がなかったので、少し困りました。 

――まあ、未経験の方の雇用は難しいですよね。 

村上さん:とりあえず話だけでも聞いてみようと面接したのですが、トマのポートフォリオには個人制作のゲームが沢山あって『BackSlash』の原型となるゲームもその中にありました。僕は、BitSummitなどを運営していることもあり、沢山のインディーゲームに触れる機会があったので、トマの作品を見て素敵なクリエイターだなーって思いました。一人でこれ作ってるのすげぇなと思いました。そこで僕から逆オファーを出したんです。開発チームのメンバーとして雇用するのは難しいけれど、社員としてインディーゲームを作ってみませんかという話をしました。そこから、トマさんが作った『BackSlash』をブラッシュアップして販売してみようという話になりました。どうなるかわからないけど一緒にやってみよう!となったのが始まりです。   

 ――となると、面接で出会ったわけなんですね。  

トマさん:友達が、その会社をおすすめしてくれたんです。  

村上さん:突然の訪問にとても驚きました。 

トマさん:僕はゲームデザイナーになることが夢だったので、逆オファーをされたときはすごく嬉しかった。やっぱり自分のゲーム作ってもOKっていうのは、とても驚きました。今でも信じられません。

――自分のアイディアをピッチ(プレゼンテーション)して、ゲーム会社で働きながら、インディーゲームを作る。これはインディーゲームディベロッパーが夢見ることの一つですね。

村上さん:会社としてインディーゲームを作り続けていくのは難しいと思います。我々の場合は、トマが会社のプロジェクトに参加するメンバーではなく、自分の作品を作るという契約で始まっていることと、彼が一人でゲームを作れるので、なんとか実現できていると思います。

――そうですね。個人開発はゲーム会社でのチーム制作と異なる部分がありますからね。これは村上さんへのご質問ですけど、会社としてそういう決断をされたのは何かお考えがあったのでしょうか?  

村上さん:僕は20代のほとんどをアメリカで過ごしていて、30歳になる前に日本に戻ってきました。日本の社会に戻ったときに、このままだと未来はあまり明るくないなと感じました。ゲーム業界もスマホゲームの全盛期で、売れるゲームってカジュアルなものか、すでに名前が売れているタイトルの続編みたいのばっかりだったんです。

――たしかに少し前はそういう状況でしたね。社会全体もちょっと見通しが暗い頃でした。ゲームの開発規模もどんどん大きくなっていった頃ですね。 小規模なゲームを世に出す場所が必要とされていたんだと思います。

村上さん:当時はその様な状況に危機を感じていましたが、人は必ずちゃんとしたゲームを遊びたくなる時が戻って来るだろうと思っていました。BitSummitは、ちゃんとゲームを作れる人たちがいなくならないように、クリエーターの環境を守る様な気持ちで関わりはじめました。でも、自分たちの社内ではインディーゲームを作っていなかったので、いつか自社でもインディーゲーム開発をやりたいっていう思いがありました。 

――そうですよね。自分たちのゲームを作るというのは、みんな思うことですね。 

村上さん:いつかは自社でゲーム開発をしたいという思いを持ちながらいたところに、トマというゲーム開発をすべて一人で完結できちゃうすごい人が現れたんです。思い描いていたことを実現するチャンスだと思いました。インディーゲーム開発者が近くにいる事で、開発者の悩みや苦労するところが見える様になりました。  

――ああ、「インディーゲームディベロッパー」が実際に社内にいるわけですからね。 

村上さん:トマを採用する時は、スケルトンクルースタジオがインディーゲームのコミュニティにしっかり寄与していることを表現するための取り組みにしよう、と思ったんですよ。だから売り上げとは気にせずに彼が作りたい作品を作ってもらおうという感じでした。

――そうですね。ゲームの開発はどんどん規模が大きくなったので、個人の思いをゲームに反映させづらいというのがありますね。近年のゲーム会社の課題として、昔は1つのタイトルを受託開発できたけど、最近はプログラミングだけとかデザインだけなど、大きな作品の一部だけを引き受けるしかできないというのがありますね。   

村上さん:ゲームが大きな産業として成長して、業界には沢山の人が働いています。生きていくために仕事としてゲームを作りお金を稼ぐことは大事ですが、自分の好きなゲームを自由に作りたんだって情熱を持ち続けることも大事です。インディーとして、情熱を持ってゲームを作っている人や、これから挑戦したい人が集まれる場所を作ろうとBitSummitは頑張っています。トマみたいな個人作家が生き残れる、ちゃんとゲームを作って評価されて生活できるようになって欲しいです。イベントを始めた当時に比べると、今はインディーゲームの認知も上がり、色々な選択肢ができてきたと思います。   

――たしかに両面がありますね。ゲーム会社で働くとなると、学校を出てエンジニア、デザイナー、プランナーとかの特定の職種でゲーム会社に入ってゲームを作るというひとつのキャリアが出来ていますね。インディーゲームを作るのは、そのキャリアとはまた違う形のゲーム作りですからね。  

 村上さん:会社で働いてもらっていると、そういうモチベーションってなかなか提供できないですね。     

トマさん:そうですね。ツールを活用するなどで、昔よりゲーム開発は簡単になったと思うんです。完成させることは簡単ではないけど。 

――わかります。ゲームエンジン以外にも、いろいろなツールや参考にする方法などが身近に増えてきて、簡単ではないけど昔よりはやりやすくなりました。 

トマさん:7年前くらい、日本に来る前にフランスのパリにあるゲーム学校に入ろうと思って、面接に挑んだんですけど、結局は入学できませんでした。その時はゲーム開発を諦めようと思っていました。その後、日本に引っ越して色々なディベロッパーと話す機会が増えて、僕も何かやってみようと思って制作を再開したんです。他のインディーゲームディベロッパーと話をしてもう一回やろうって気持ちが戻ってきました。   

村上さん:ゲーム作るってなると学校へ行って就職して何らかの職種につくみたいなのが多いので、周りに一人や二人で情熱もってゲームを作ってる人達に出会わなければ、こういう道を知らない人もいるかもしれないですね。  

――確かにあるでしょうね。こういうインタビューで多くの人に伝わるといいなと思います。

HATA

5歳の頃、実家喫茶店のテーブル筐体に触れたのを皮切りにゲームライフが始まる。2000年代に個人でノベルゲーム開発をスタートし、異業種からゲーム業界に。インディーゲーム開発をしながらゲームメディアで記事執筆なども行う。

おすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です