【CEDEC 2023】開発に14カ月、ブラッシュアップに15カ月。「『メグとばけもの』のつくりかた – 心を揺さぶるゲームの技術」講演レポート

日本最大級のゲーム開発者向けカンファレンス、「CEDEC 2023」が8月23日から開催されました。昨年までオンライン開催を継続していた同イベントですが、今年からハイブリッド開催に変更。現地参加も可能なスタイルに移行しました。

今年は国内のインディーゲームに関連した講演が3件ありました。『PICO PARK』開発者によるゲームデザイン講演、『QUICAL』開発者による技術講演、そしてこの『メグとばけもの』開発者によるポストモーテム「メグとばけもの」のつくりかた – 心を揺さぶるゲームの技術」です。世界的なヒット作を作ったDAIGO氏とメンバーはどのようにこの作品に取り組み、どこに力を入れたのでしょうか。

DAIGO氏の経歴

DAIGO氏は、Activision Blizzardで『Guitar Hero』シリーズやスクウェア・エニックスで『ファイナルファンタジーXIV』、米DeNAでソーシャルゲームの開発にかかわった後、インディーゲーム開発へと至っています。前作『クマのレストラン』がヒットしたことから、Odencat株式会社を設立しています。

主にドット絵を使ったストーリーゲームを作っており、『クマのレストラン』や『フィッシングパラダイス』などが全ゲームを合わせて500万ダウンロードを記録。Google Game Indie Festivalにも3年連続入賞しています。そして、元々スマートフォンのゲームだったこれらの作品をコンシューマに移植し、現在はデベロッパー/パブリッシャーとなっています。

『メグとばけもの』は同社が最初からコンシューマ・PCをターゲットとして初めて作ったゲームで、HPが99999のバケモノがメグを守って戦うゲームです。Steamで圧倒的に好評となり、Metacriticで85点を得るなどゲームとしてかなり成功したといえるでしょう。

一方で、DAIGO氏は、本作がなぜ好評を得たのかをあらためて考えたときに、「別にバケモノと少女という設定自体は何も新しいところはないし、よく見るものだ」といいます。その設定からも、大体エンディングが見えるわけです。凝ったゲームシステムのような要素もほとんどなく、古臭い地味なコマンドバトルだけで、ゲームとしてもほんの数時間です。

それでも評価を受けている理由として「このゲームは一点突破で泣けるっていう評判でここまで流行っている」と述べています。「一番やりたかったシーンのためにこのゲーム作りましたって感じられるゲームには名作が多い」とDAIGO氏は感じており、本作がそういうゲームにできたので結構ハッピーだと感じているそうです。(なお、このシーンはネタバレになるため画像掲載は避けています。)

開発チーム構成

本作のコアメンバーは6名で、うちフルタイムで参加しているのは、ディレクター/シナリオのRYOTA氏とアートのTOMAS氏の二人となっており、DAIGO氏はプロデューサーとして参加しています。

制作スケジュールとコンセプトづくり

開発に合計2.5年ほどを要した本作は、最初の2か月をコンセプトフェーズとし、担当者は他のプロジェクトをやりながらブレストやアイデアを出しを行いました。開発が決定したら実際に試作したりプロットを詰めていき、本開発後からは通しプレイや全要素を遊べるところまで開発をしました。最後の仕上げに時間をかけることが自分の作りかたの特徴だ、とDAIGO氏は解説しました。

講演は最初のゲームコンセプトに戻ります。「企画でほとんどゲームの全てが決まり、成功するかどうか半分以上決まる」と言われることもありますが、DAIGO氏はその意見に同意しているようで、コンセプトで外してしまうと、その後どんなに頑張ってもなかなかリカバリーできないと述べています。では、本作のコンセプトはどのように考えていったのでしょうか。

始まりは開発チームで使っていたDiscordでの雑談だったそうで、メンバーが好きにストーリーアイデアを投下できる「ストーリーアイデアチャンネル」に書き込まれたRYOTA氏のアイディアがきっかけだったとのこと。その中のアイデアに、「子連れモンスター」というアイデアと「少女と魔物が出会って、四苦八苦しながら成長していく」という内容がありました。

RYOTA氏は元々IT系の技術者で、仕事をやめたそうにしていたところをDAIGO氏が声をかけてチームになったそうです。これまでに2作品を一緒に開発してきた中でDAIGO氏は『メグとばけもの』の企画からRYOTA氏の情熱を感じ、「心が動く予感がした」ということで、実際の企画がスタートしたそうです。

HATA

5歳の頃、実家喫茶店のテーブル筐体に触れたのを皮切りにゲームライフが始まる。2000年代に個人でノベルゲーム開発をスタートし、異業種からゲーム業界に。インディーゲーム開発をしながらゲームメディアで記事執筆なども行う。

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